Assalom! Oʻzbekiston
毎年、秋の風が吹き始めるころ、さて次はどこに行ってどんな旅をしようかと思いを巡らせる。冬のはじめに長い休みをとり、旅に出ることにしているのだ。仕事柄、さまざまな国に撮影などで行く機会が多いので、個人的な旅のデスティネーションとしては、あまり多くの人が行かない未知の部分が多い国に惹かれる。子どものころ、テレビで兼高かおるさんの番組を見て心が震え、将来、自分も世界を旅する人になりたいと思った。そんな旅心とともに成長し、海外で暮らした経験も含めて、若い頃から今までに50カ国以上旅をしてきた。道連れのいる旅もいいけれど、基本は気の向くままのひとり旅派だ。
今回私が選んだ旅先は、中央アジアのウズベキスタン共和国。現代の中央アジアは、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、トルクメニスタン、タジキスタンの5カ国からなる。聞き覚えはあるものの、地図を広げてどこにあるの? と目をこらして探すような、あまりなじみのない小さな国だ。旧ソビエト連邦の統治下で、1991年に独立。2018年2月からVISAが不要となり、じつは乙女心に響くかわいいものの宝庫でもあることから、旅先として人気が出はじめている。私はエキゾチックな器や織物や雑貨に目がない上にイスラムの建造物が好きなので、今までもモロッコ、トルコ、エジプト、ヨルダン、イスラエルなどを訪ねてきた。だが、中央アジアのイスラム圏には行ったことがない。ふつふつと興味が湧いてきた。
東京から韓国の仁川経由で、夜、首都のタシケントに到着し、ホテルへ向かう。ウズベキスタンでは、ちょっと不便なことに、都市ごとに滞在証明書(レギストラーツィア)を取得する必要がある。宿泊したホテルに発行してもらい、出国時にまとめて提出しなくてはならない。フロントで証明書を受け取り、翌朝早くタシケント駅へ向かった。超特急のアフラシャブ号で、いざサマルカンドへ!
社会主義国家の旧ソビエト時代のなごりなのか、駅に入る手前にはゲートがあり、そこでまずパスポートチェックと荷物検査。次に、ホームの手前でもパスポートとチケットを警察官と駅員に見せて、ようやく列車に乗り込む。各車両ごとに係員がいて、皆とても親切だ。日本の新幹線にも引けを取らないほど快適な乗り心地で、購入しなくても飲み物とサンドイッチがふるまわれる。遅延もなくダイヤも正確で、約2時間10分でサマルカンドに到着。天気は快晴、サマルカンドブルーの空が歓迎してくれているみたいでうれしい。
ホテルからイスラム建造群の地域までは歩ける距離だったので、散歩がてらのんびり徒歩で向かう。ティムール帝国の首都であったサマルカンド。サマルカンドブルーと呼ばれる美しいタイルで装飾された青の都は、600年前からシルクロードの中心地として栄えてきた。チンギス・ハーンによって破壊されたサマルカンドを復興させ、イスラム文化を復活させた英雄、アミール・ティムールが眠る地でもある。壮大な建造群が有名なこの街は、2001年に世界遺産に登録された。
整備された道を進むと、突然、目の前に3つのメドレセ(神学校)がそびえ立ち、息をのむ。レギスタン広場に到着したのだ。巨大で壮大な建造物にただただ呆然。建物の前では、人々はまるで蟻のようだ。15世紀〜17世紀に、こんな建造物を築いてしまうとは……。旅をしているとさまざまな土地で感じることだが、権力を誇示しようとする人間の性(さが)と、それを壮大な形に具現化する人間の能力や技、そのどちらにも圧倒される。
中でも最初に建てられたのは大きな天蓋屋根付きのバザールで、アミール・ティムール時代に造られたものだという。その後、孫のウルグ・ベクの時代(1420年)に、ひとつめのメドレセ(神学校)が建てられた。入り口のアーチの高さは35メートルにもなる。当時のメドレセは寄宿制の神学校で、イスラム神学や数学、天文学、哲学の学びの場であった。天文学者でもあるウルグ・ベク自身もここの教壇に立っていたらしい。メドレセの扉にはウルグ・ベクの「向上心こそ、ムスリムになくてはならぬもの」「信仰する人には、いつでも神の祝福の扉が開かれている」という言葉が刻まれている。
写真のティラカリ・メドレセは、レギスタン広場の中央に1646年〜1660年に建てられた。当時は主要礼拝所としても使われていたそうだ。中に入るなり、まばゆいばかりに輝くゴールド! 目がチカチカするほどのきらびやかさ。このゴールドは、旧ソビエト時代に約3kgの金箔を用いて修復されたものだという。サマルカンドの建造物は青が印象的なのだが、ドーム内にも青いタイルと金箔が貼られ、見事な彫刻が施されている。その緻密で精巧な手仕事の技に目が釘付けになる。ため息が出るほどの美しさにしばし見入ってしまった。
翌日はウルグ・ベク天文台へ。ウルグ・ベクはティムール朝の第4代君主であり、優れた天文学者でもあった。彼と有識者のチームは1420年代から天文観測を行い、その記録は1437年に世界初の天文表としてまとめられた。この天文台で、1年が365日6時間10分8秒と計測された。現代の最新技術を用いて計測した数字と、わずか2秒しか差のない正確さだ。天文台の小さな窓から夜空に輝く星の数をひたすら観測するなんて、現代に生きる私たちには想像できないほど緻密で地道で、そしてあまりにもロマンティックな作業。ただただ天体の規則性や科学のことわりを深く知りたいという、純粋な欲求に突き動かされていたのだろう――と空想する。
だが、当時の保守的な勢力からの反発および支配権争いにより、実子のアブドゥル・リャティフによりウルグ・ベクは暗殺され、天文台は破壊されてしまった。1908年にロシアの考古学者ヴァシリー・ヴィヤトキンが文書を発見し、その天文表を頼りにこの地を掘り起こし、土の中から発見するまで、この天文台の存在は知られていなかったのだ。
それにしても、600年も前に現代と2秒しか差のない値を導き出していたとは! 天文学の父といわれるガリレオ・ガリレイよりも100年以上前の話だ。ここは科学をはじめ、世界屈指の学術の最先端都市だったのだろう。今、私がここで見上げている空に輝く星々は、当時のサマルカンドの上の満点の星空にも輝いていたのだと、悠久なる時の流れにしばし思いを馳せる。
史跡を訪ねた後は、ウズベキスタンの現在の食を探索すべく、市場へ向かう。途中、ターミナル・ステーションの構内で、女性たちが自家製のパンを売っていたので足を止める。サマルカンドはわざわざよそからこの地までパンを買いに人々がやってくるほど、パン(ナン)がおいしい土地だ。
円盤状で少し甘みのあるパンは、たいてい真ん中のへこんだあたりにゴマが乗っていて、香ばしくてほんのりと甘い。なんとなくモロッコで食べたパンを思い出した。パンを毛布にくるんで売っているのは固くならないようにするためらしい。一人で山のように何枚も買っていく人もいて、そんなに買い込んだら、それこそ食べ切る前に固くなるのでないかと疑問に思う。あとで聞いてみると、なんとこのパン、固くなっても水を含ませて焼き直せば、この地の気候なら2年くらいもつものらしい。
パン売りのおばさんたちは寒さよけのためか、服を何枚も着込んで、まん丸になっている。ピンクのエプロンがアクセントになっていたり、豹柄のスカーフだって、なんだかイケている。以前インドに行ったときも感動したものだが、遠い街で出会う人たちの着こなしに、時おりハッとさせられる。すばらしい色彩と組み合わせ、その新鮮さにわくわくする。ただあるものを重ねて着込んでいるだけなのだろうと思うが、案外、もともと彼らが持っている色彩感覚のなせる技なのかもしれない。
ショブバザールという名の市場に着く。ここは、サマルカンドの台所。さまざまな食材が豊富に並び、活気にあふれている。特にナッツやフルーツ、そしてハーブの売り場の豊かさ、充実ぶりには目を奪われる。フルーツはザクロにレモン、メロン、スイカ、リンゴなどがうず高く積まれている。メロンをはじめ、食べてみるとじつに味が濃くてみずみずしく、ジューシーだ。ハーブは種類も量も豊富だ。ウズベキスタンはシルクロードのほぼ真ん中に位置しており、その食文化にはロシア、モンゴル、トルコ、中国などの影響が見られる。ロシア料理のボルシチ、モンゴルにもあるマンティ(日本なら餃子)、トルコ料理のシャシュリク(肉の串焼き)、中国の麺料理……。イスラム圏なので豚は食べないが、ラムや牛、チキンなどは多種多様なメニューに使われている。
昼食はタシケント通り沿いのビビハニムモスクの隣りのチャイハナ(カフェ、喫茶店)でスープをいただく。サマルカンドの気候は一年の中で寒暖の差が大きく、冬の時期は非常に寒い。だからなのか、スープの種類が豊富だ。滋味深く消化によく、身体が温まる。旅の途中、胃が疲れたときなど、食事は軽くすませたい場合もある。そんなときにスープとパン、それにお茶だけでもOKのチャイハナの存在はありがたい。朝食もとることができるので、ひとり旅の強い味方だ。
ウズベキスタン人は日本人と同じく、よくお茶を飲む。イスラム系の人たちはアルコールを飲まないので、毎日お茶の時間を楽しんでいる。お茶には主にグリーンティー(コク・チャイ)とブラックティー(カラ・チャイ)の2種類がある。日本の緑茶や紅茶とは少々風味が異なり、ほうじ茶のようなマイルドな味わい。ポット(チョイナク)一杯に入ったお茶を、ピヨレというカップに注いで戻すという動作を3回繰り返してから、いただく。台湾のお茶のいただき方を思い出したが、こちらでは茶芸などといったものではなく、どんな食堂でもこのやり方。お茶をおいしく飲むための気軽なプロセスのようなものらしい。
はるか昔、シルクロードは東洋と西洋を結ぶ交易の道だった。そのシルクロードの中間地点にあるオアシスとして発展したウズベキスタン。見事なイスラム文化の美に目をみはりつつ、さまざまな時代のさまざまな国の文化が融合しながら息づいているのを垣間見るのもおもしろい。ときに脳内タイムスリップしながら、ウズベキスタンの旅は続く――。
©T JAPAN:The New York Times Style Magazine
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